「折りたたみスマホ」とは何だったのか? これから先需要はあるのか?
「折りたたみスマホ」は今からが旬のはずなのに、もう終わった感があります。
その理由の一つは20万を超えるような高額な商品だという点でしょうか。
値段が凄すぎて、一般人が引いてしまうパターンです。
これから本番の「折りたたみスマホ」
でもこの時代の始まりに、あえて終焉を感じる理由は値段以外にあるのか考えてみます。
そこにあるのはメーカーの未来志向
Samsungは、ハマグリのように開くデバイスと、Huaweiの折りたたみスマホ「Mate X」に似たデバイスの2つの折りたたみスマホの準備をしていると報じられています。先月発表された「Galaxy Fold」は、販売価格は1,980ドル(約221,352円)で4月に発売となる見込みです。
Samsungは折りたたみスマホを本格的に展開させようと開発モデルを増やしていっています。これは将来的な市場を見据えての行動だという事は理解出来ます。
ITメーカーであれば、このような「 未来志向 = 将来的な市場の独占 」が待っているわけで、そこに挑戦しないわけにはいかないでしょう。
デバイスの形の進化
事の発端は折り曲げられるディスプレイの開発にあります。
ただ、この「折り曲げる」という行為に衝撃が走るのは現世代の人間だから
かもしれません。将来的にはこの折り曲げられるディスプレイは、いたって常識になるでしょう。
そう、どんな技術も時代がたてば「 驚き 」という価値自体は消えてしまいます。
そこに残るのは純粋な 「 機能性、利便性 」のみとなります。
「 折り曲げられるディスプレイのメリットはサイズが小さくなる点にある 」
そして、この機能性、利便性がはたしてどれほどの価値を持つかが本来のポイントになります。
「 折りたたみスマホ 」の価値
確かに折りたたみスマホの持つ価値は「大画面でありながら、折り畳める事の携帯性」という点にあります。
ただ、通常のスマホに比べると問題は厚みで、現状はその点で、色々と問題がありそうです。
ポケットに入れた時の厚みの問題は携帯性の意味では少し難があると思います。
それでも男性であれば財布などをポケットに入れ歩く方も多いと思いますので、ポケットに入れて移動も十分にありえる端末です。
ただ、価値としては実はこれ以上でも、これ以下でも無いと言えます。
「 折りたためる以外の価値 」はあるのか?
これは純粋にスマホだと出来なくて、タブレットだと出来る事というなります。
そこにある価値は「 視認性 」という点以外はあまり存在しません。
ウェブに関しては最近はモバイル対応は当たり前の為、スマホで見る事に特に問題は無いはずです。ただ、電子書籍や漫画の部類はタブレットの方が見やすいでしょう。
また、仕事の資料などもスマホよりはタブレットという事になります。
つまりは紙文化の名残になるようなデータ類はタブレットの方が見やすいという事になり、その点での価値は発揮する可能性があります。
つまりは「 携帯性と視認性を持つ事 」が最終型なのだが・・・
スマホは年々巨大化していきました。
初めの頃は女性には持ちにくいなどの話しもありましたが、今や電車の中でも大きな画面サイズのスマホを持ち歩く女性がかなりの割合をしめています。
この巨大化によって得られたのは視認性はコンテンツの情報量を増やし、ゲームなどの表現力を上げる事にも繋がっています。
しかし現在の6.5インチ程度の画面サイズを超えてくると携帯性の限界を迎える事になってきています。
ハズキルーペのような拡大鏡で、この6.5インチサイズを利用するという手段もありますが、正直この6.5インチサイズは色々な情報を扱うには微妙なサイズです。
言い換えれば6.5インチのサイズ感が視認性を満足させるには少し微妙なだけで、決して不満だらけという事では無いという所がポイントです。
この微妙だと感じる部分に果たして現在の価格ほどの価値があるかどうかが、実際は大きな問題なのでは無いでしょうか?
今の折りたたみスマホ「めちゃくちゃ困ってる」から「この価格分の価値がある」という商品では無いと言えます。
世の中に6.5インチサイズのスマホが小さくて困ったと言う人は正直少ないでしょう。
「折りたたみスマホ」という商品はこの小さな不満に向けて、あまりにも豪華な提案をしてしまっています。
製品素材としての革新性はありますが、製品自体の占める市場のポジションとしては単にスマホとタブレットのどちらにでもなれるという点に、これだけの価値があると人々が信じるとは思えません。
「 折りたたみスマホ 」がこの価格帯を維持し続ける以上は人々がその価値を試す事もなく、信じる事もなく時代と共に過ぎていくプロダクトとして廃れていくでしょう。